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 しばしば言及したアランの著「デカルト」の表紙と裏表紙記載の同書紹介文をここに示す。続いてアランの弟子アンドレ・モーロワの著「アラン」のそれも。ともにみすず書房刊。前者は近年復刻版が出たと記憶しているが、現在は不詳。後者の表紙は私がいたく気に入り、自著の表紙の形式の範とした(この欄最上に掲げた自著表紙参照)。


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 本書は比類のない哲学入門の書である。
 単なる情熱は醜い。すべての芸術は儀式、すなわち情熱の統制であり、道徳は身体の統制である体操とともに始まる。思想なるものも、思想をつくった判断を想起することがなければ、全く亡びてしまうであろう。
 判断することはまず拒否すること、たえず正しなおすことである。混乱や不統一や変りやすさなどの自然状態から、人間を解放するものは判断の力である。誤謬とは、我々が自分自身の判断の中にあるものを全く理解しないか、またはよく理解していないことである。
 近代思想をつくった判断は、デカルトのそれであった。デカルトへの門は、思想への門である。
「彼の役割は判断力を働かせること、《この世の王で神の子》であると彼が宣言した判断力」を働かせることであったとアランはジョーレスについて述べている。それはまた、アラン自身にも適用できることである。
 この強靭な人間の思想の価値は、現代のように思想の欠落した時代にこそ知られるのである。
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 これは非常に充実した、さわやかな好著である。ここでは、モーロワはほとんど巧まず構えず、謙虚な心で対象だけを見つめている。そしてアランの言葉の密度と輝きについて説くかれの言葉が、おなじような密度と輝きを帯びる。それを僕は美しいと感じた。
 アランのあの堅固な考え方が、またいかに柔軟なものであるか。本書の主題はそこにある。むしろ柔軟さが堅固さの支えとなるのだ。アランは何よりもまず自由な、とらわれない、精神の自由にすらとらわれない精神である。精神は立ちどまってはならない。かれの思想は、精神の拠るべきすべての域をひらく鍵を我々に与えてくれる、と同時に、精神はいかなる域にもたて籠るべきでないことを、いつでも域を出て野の空白に、充溢した空白に向うべきことを教えてくれる(訳者あとがき)。
 アランがプラトンを読むように、モーロワはアランを読む、ともに叡智への愛をもって。本書は、「魂のすべてを挙げて真理に赴かねばならぬ」と定言した精神の哲学者アランに対するオマージュであると同時に、また敬愛する師の内部へ、その精神の運動へ深く参入した卓れた文学者による、絶好のアラン入門の書でもある。
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ここに二つの書籍推奨文を紹介したのは、文章自体が高雅で、それを味わってもらうためである。アラン「デカルト」については内容自体に立ち入って私の感得を語ることができればよいと夢想している。本書との予期せぬ出会いを私ははっきりと憶えている。あのかなり遠いというべきであろう日、駅を出て曲って入った書店で偶然手に取ってこの紹介文に見入ったのであった。まだ何の定かなものも見出せず煩悶していた日々であった。これによって精神の何たるかの最初の感得を見出していったのであった。恩人であるような書がある。これはその最初の一冊である。