愛の安心感は、精神にも身体にも最も必要なものです。それによってはじめて休息が得られます。休息はすべての健康の母。
オリーヴの木が花をつけています。まだ実をつけたことがありません。実を食べてみたいですね。
さて、ぼくの欄のメッセージボードにも確言していますが、ぼくは 「集合容喙(遠隔人心操作)と強制薬害の重篤な被害者」です。世間で言われているこの現象の呼称は、品も雰囲気もぼくは好かないので、ぼく独自の呼称(「集合的容喙現象」)を使っています。この現象は客観的事実ですが、自ら経験しない方々には、その認識に困難が伴うことの予想される現象です。しかし、ぼくが同時に確言している、「強制薬害」のほうは、理解されるだろうと思います。これについてもそうとうぼくは書いているので、結論だけ申しますと、ぼくのいまの状態は、身体の神経組織が、「薬害」のため、正常ではありません。そういう、魂は正常であっても、身体が人為的に正常でなくされた人間が、自分の本来の生をまっとうしようとして、この欄(電子欄)を書いているということ、この欄は基本的にそういう状況のなかで書かれているということ、このことを、あらためて申しあげておきたいと思います。 この状況・状態を、ぼくは一方では現実として無視したい(自分が健康でないと思いたくない)のですが、他方では、この状況・状態を、現実として表明することは、ぼくに安定感をもたらすもののようにも思われます。他の人々にもそのことを承知してもらいながら、そのなかで自分のやれることをやればよいという心境に落ち着くからです。 これは、実際に会う人々ごとに表明する必要もない。自分のうちで表明しているだけで充分です。それでぼくは自分のやることを怠るとは思わない。むしろぼくは自分の根源に根ざして生きる落着いた心境を維持することができるだろう。
文字学問を離れたことをいろいろやってみようと思います。 こういうことがなければ、観念の世界をただ突っ走っているだけの人間だったかもしれない。それがぼくにほんとうに幸福であったかどうか。自分の志向していたものに至り着けたかどうか。こういう状況と状態だからこそ、気づいてくるものは、おびただしいと感じています。
