自分の人間を生成させることが、人生の根本目標・意味である。文化・芸術の真の意味。 


 


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具体的なものと向き合うことが いちばん大事なのである。 この具体的なものは、「自然」でなければならない。これと取り組むことによってはじめて「自己」は成る。これが、高田先生のいう「自然と人間との調和」の意味である。また、「ものなしには仕事しない」というアランの真意でもある。このことは、「文化」がそういうもの、「人間」の営為が「自然」と調和してあることの集積であるならば、そのなかで「人間」が生きてきた証を、「自然」そのもののなかに観じることともなることを、理解させる。 「地中海世界」に先生が観じることは、そのことである。 「文化」は「芸術」であり「人間」であり「自然」である、とは、こうして、思弁でも悟りでも、直観でさえもなく、人間実感として理解される。 

 

いま、つぎの高田先生の言葉をよく理解できるように思い、このことを幸福におもう: 

 

 

 《僕にもまた地中海が「調和せるイデー」を感得させた。現実世界――一刻一刻にすぎてゆく動く世界に――不幸や悲惨や破壊や引き裂く矛盾――我々の意識はその重荷を負い、常に分裂の危機を持っている――があればあるほど、時を通して集積される人間の精神の営みはいよいよ高く「イデー」として自然の中に示される。この世界で僕達は「無人の自然」を見ているのではない。いたるところに「人間」を感覚しているのである。永遠のイデアリスムがある!》 

 

  ― 高田博厚「地中海にて」より(1950年刊『フランスから』所収) ―

 

 

 

 

 

どんなに拙くても、「自然」に由来する「もの」と取り組む仕事をする。上手い下手はまったく問うところではない。 そういう仕事に、完成ということはけっしてありえない。 その未完のものが光っているかだけが問題だろう。

 「知覚することに努めなければならない」(アラン)。 

 知覚は、自己の営為を常に自然と照合させ、無意識的な判断までをも矯正することである。 

 

 音楽で働く知覚とはどういうものだろう。音楽では何に照合させ、自己を矯正するのか。裕美ちゃんに聞きたいところ。  

 

 「形式的なこととか、いろいろあるけど、わたし自身の魂そのものよ。魂は、自然との調和のなかにあるでしょう? それを育むために、自然そのものや、いい絵を見たり、普段からそういうことに心がけているわ。」 

 

 ありがとう。自然との諧和のなかでこそ、魂はじぶん固有のもの、つまり個性、を「見いだす」のだよね。 

 

 

 

 

 

 

 

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〔あらためて言うまでもないことであるが、「自然との調和」という言葉が日本では独り歩きしている。 この言葉は、人間が「人間」となる、という課題を免除もしなければ少しも軽くもしない。その逆である。日本人の多くはこの言葉を、いわゆる〈ありのまま〉に放恣に過ごす言い訳にしている。その言動をみれば瞭然であって、自然を壊す公的行為のみならず、日常の個々人の他者への言動は、この言葉の主張とまさに反対である。〕