「メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈り瞑想に生きるキリスト教修道士にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既に、この奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていた。この時代の修道士は現在のような修道院共同体を形成することはなく、単独で修行する隠修士が主流であった。」(Wiki.) 

 

 

 

 

よくこんな高い処に石材を、と思ったが、其処の頂上の岩を切って使ったのだろうな。 たしかに理想的な場所ではある。 情緒に欠ける気はするが。 この世との縁を絶ちたいという意志は、人類のなかの人間には常にあったのだという確認をつよくさせるものだ。 もちろん共感する。 

 

人間がものをつくる動機には、底知れぬ精神的・宗教的動機がある。人間が生きることのなかにそれがあることの、「形ある美」はその証であり実証であり実現なのだ。

 

 

 

 

 

『至聖三者』(アンドレイ・ルブリョフによるイコン)。旧約におけるアブラハムを三天使が訪れた記述を至聖三者の啓示・象徴として捉える伝統が正教会にはあるが、そのもてなしの食卓の情景を描いたイコンを元に三天使のみが描かれたもの。至聖三者そのものは描けないのであり、あくまで象徴としてのイコンである。(Wiki.)