《ヴァレリーは、何故二十年の間「文芸」から去って、数学に沈潜したのであろうか? そして「ラ・ジューヌ・パルク」(1917)や「ル・シムティエール・マラン」(1922)と共に再び出て来たとき、「感覚の純粋性」を求めたのであろうか? 科学が見出す「真」と、私達が感覚の純粋状態に於ける時の「結晶」体は同質なもののようである。》
「ある青年に答えて」(1949・3・31)より
『高田博厚著作集 I 』239頁
LA JEUNE PARQUE
A André Gide
Depuis bien des années
j'avais laissé l'art des vers :
essayant de m'y astreindre encore,
j'ai fait cet exercice
que je te dédie.
1917
〔アンドレ・ジイドへ。
多年の間
私は詩芸を放棄していた。
この芸術を再び自分に強制しようとして、
この訓練を行ない
君に捧げる。〕
Le Ciel a-t-il formé cet amas de merveilles
Pour la demeure d'un serpent?
Pierre Corneille.
〔天が素晴らしきこの量塊を形づくったのは
一蛇の住居としてなのか?
ピエール・コルネイユ〕
Qui pleure là, sinon le vent simple, à cette heure
Seule, avec diamants extrêmes?... Mais qui pleure,
Si proche de moi-même au moment de pleurer?
そこで泣いているのは誰? ただの風でなければ、こんな時間の
独りのときに、いっぱいのダイヤモンドと一緒に… ほんとに誰が泣いているの?
こんなにわたしの近くで わたし自身が泣こうとしているときに。