「被害者」のブログで、よく、戸外で遭遇する集合容喙のタイミングの絶妙さが問題にされますが、ぼくは自宅にいながら、自分の行為に応ずる、けっして偶然とは思えない戸外の現象を経験しています。そして その共時性は、どんなに高度のスーパーコンピューターシステムを想定しても埋められないであろう誤差・時間差を埋めており、人間技術を超えていると直接的に確信します。人為を超人為的ななにかが操って(補佐して)いるとしか思えません。 逆に、人為をくい止めて超人為の働きを阻止することもできると思います。これがやるべきことでしょう。

 ところで、ぼくに関しては、そういう「外応」現象も、このところ著しく減ってきていると感じます。 自分の本来やりたかったことをやるのにいそがしく、集合容喙など構っていられるか、という生活ができるようになっているので、問題があればそれなりに対処しますが、集合容喙関係のことを書くのも相対的に減っています。 身体のほうは大変ですが、集合容喙問題は、社会問題として関心をもつ、というくらいに、距離を保つことができるようになっています。 この問題の客観的実在性は、ぼくの首と理性を懸けて、証言しつづけます。 ぼくの身体を壊したのですから。 或る意味で自分を騙しながらの生活しかできません。 

 

 去年十二月は、全国で集合容喙現象が増えたという報告がかなりあったようですが、ぼくが国への訴えを休んでいた頃と重なるので、不思議な関連もあるのかもしれないと気になっています。 訴えを再開すると、逆の傾向がみられるようです。 ぼくとは関係ないことをねがいますが、或る可能性も想定しながら、問題の解決にぼくも一役担えるつもりで いたいと思います。