真の個人主義者は、自分を知らないのに 自分いがいのものをたくさん知っている物知りを、最も悲惨な人間であると見做す。 視野が狭いようにみえてじつは最も強固で普遍的な人間質をもっているフランス人は、そのような個人主義を生きていることが、ロマン・ロランの叙述から確かめられる。 

 

ソクラテス以来の古典的真理である   

 

 

 

それにしても、ぼくがもう解っていることばかりだ。書物は、じぶんが問題のことを経験しないうちは尚早であり、じぶんで経験したことは、確かめて整理するのを助けるものでしかない。そうしているうちにも「自分という書物」を生き読むことを中断している うしろめたさ は如何ともしがたい。ストレスがたまる。自分をほっぽらかして書物を読める凡人がうらやましい。 

 

じぶんが経験していることを補うことにはなるが、それにしても、じぶんでもっとやるべきことを知っている。

 

 

書物は読みとってしまうまで落ち着かない。なければいいのに。だから、有名だということで読む動機となることはない。正確にいうと、読んでいて一緒に生きられる書物というものはすくない。だから基準は有名無名ではない。

 

 

これは名文句だ。拾っておこう: 

 

「 「 これからさき何年生きるかわからないのに、あくせくすることはないよ!……」 」 

            『ジャン・クリストフ』第七巻   

 

 

別次元のこと

 

「 世間のどこにいるのかわからず、どこにも書かないで、ひたすら愛することと沈黙することしか知らないような者・・・ 正直で宗教的な心においてはほとんど超自然的な性質を帯びてくる、芸術の静かな光と互いの愛情とをもって、彼らは平和に、かなり幸福に、またかなり悲しく――(これは矛盾しない)――孤独に、多少傷ついて、生きて行くのであった。」   同  

 

 

 

別事 

 

セザンヌの絵の小さな複製を偶々眺めた。彼の絵はよく組み立てられているが、感性に清澄さがない。ぼくの知性は褒めるが、感情が反撥する。 

 

 

理屈を覚え、比較を覚え(この二つは同じことである)た女性ほど始末に負えないものはない。 ぼくはそういう女性はぜったい相手にしてこなかったからよいが、どうしようもない。