それは、この曲の名を冠したインディーズアルバムの解説(ぼくはその部分を紹介していない)に記してあります。持っているひとは知らないはずはない。お読みください。めったにしゃべらないことこそ、そのひとにとって中核的な真実。それを忖度できるようでなくてはならない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 ついにある晩、ある友人の客間でいっしょになって、クリストフが彼を認めた。オリヴィエは彼から離れていて、なにも言わずただ彼を見つめていた。そしてその晩は、アントワネットがオリヴィエといっしょにいたにちがいない。クリストフはオリヴィエの目の中に彼女を見た。不意に現われた彼女の面影に導かれて、彼は客間を端から端まで横切り、若いヘルメスのように、幸多き霊の愁い深くも柔らかな会釈をもたらしている、この未知の使者のほうへ近寄って行った。」 

     『ジャン・クリストフ』第六巻終り 高田博厚訳   

 

 

 

 

人生も書物も、「いかに」経験し生きたかがすべてである。自分が真摯なだけしかできない。 

 

 

 

 

「音楽は 遠慮のない打ち明け手であり、もっとも内的な思念をもむき出しにしてしまう。モーツァルトの『〔ロ短調〕アダジオ』の霊妙な構図の下に、クリストフは、モーツァルトのではない、弾奏している未知の友の、目に見えぬ容相を見出した。純で惚れっぽくてすぐ赤くなるこの神経質な人間の、清朗な憂欝、内気で優しい微笑。・・・ 

 「これで、君の魂の音色がわかった」 

 ・・・ 

 「ふしぎだなあ!……君には以前会ったことがある……ぼくはずっと以前から、君をよく知っている!」 」 

      第七巻 

 

 

 

ねえ、どうしていまそんなに熱心に読んでらっしゃるの?

 

音楽を(ほんとうに)知らなかった頃(いま、そう思う)、どうしてこの物語がこういうふうに読めただろう・・・ 音楽によって魂を知る… その経験は、いまが、はじめてなんだよ。きみのために   

 

あなた、また泣いてらっしゃるのね 

 

もう恥ずかしくない