「 孤独、病気、貧乏、たくさんの悩みの種にもかかわらず、クリストフは辛抱強く、自分の運命に耐えていた。こんなに強いとは、自分ながらおどろいた。病気はしばしばためになる。身体を壊して、魂を解放し、純化する。夜昼余儀なくなにもしないでいると、生々しい光を恐れ、しかも健康という太陽に焼かれている、さまざまな思想が起き上がって来る。病気をしたことのない者は、自分の全部を知りはしないのである。 

  病気はクリストフに、独特なやわらぎを与えた。それは彼の裡にある、粗野なものを洗い流してしまった。われわれ各々にありながら、生活の雑音に妨げられて聞き得ない、神秘な力の世界を、彼はかつてない細やかな官能で、感じていた。ごく些細な記憶も内にきざみつけられる発熱時にルーブルを訪ねて以来、あのレンブラントの絵のような、熱い、深い、そして穏やかな雰囲気の中に、彼は生きていた。彼もまた心の中に、見えざる太陽の反映の魔力を感じていた。なにものをも信じてはいなかったが、自分が独りでないことを、知っていた。一人の神が彼の手を取り、彼が行くべきところへ、導いていっていた。幼な子のように、彼は神におのれを委ねた。」   第五巻   

 

 

 

たしかに、健康なだけの人間は、人間というものにも、世界というものにも、十全な認識をもちえないはずだ。観念的な人間・世界誤認と、無益な戦いは、そういう、認識が大人でない者たちによってもたらされる。  

 とくに真の芸術家にとって、病気の経験は、根源的な魂からの創造のために、必然的であるといえる。

 

 「天才」もまた、個としての生活のなかで、われわれを感動させる美と魂の創造のために、どんな代償を払い、経験と努力をしているか、享受するだけの者たちは想像することもしまい。 

 

 

別事 

 

徹底的に何でも言葉にしてしまうということは、他には、人間の内奥の開示として役だつだろうが、たぐいない秘密を内に蔵している本人にとっては、むしろあまりくっきりと表示しないで秘めている細部を残しておくことが望ましいのである。芸術においてのみ沈黙のうちに開示することのほかには。