ぼくと運命と歴史をともにする気もないのに、内的経緯を知ることなくぼくへの判断だけは断定的に投げつけるのが、他人というものである。汝の大いなる罪を嘆け。それをしかも意図的にするのであれば、どんなに良識面をしていても地獄に落ちるしかない者たちである。 つくづく外界との隔絶を、向こうのほうから固めてくれる。 仮象のなかに生きているとは、阿呆のなかに生きているとは、そういうことである。 この無関係さのしらじらしさを、ひとつの独特の快感として、優越感として感じるようになっているので、ぼくのなかで高踏的な安定感が育っていっている。 あの現象は、それがなければぼくが安住してまどろんでいるこの世の実相を、拡大鏡にかけたように知らせてくれることによって、ぼくの世界認識と意識の自由に役立ってくれている。