これだけ繰り返し裕美ちゃんを讃美していて、ぼくはまだ讃美したりないことに気づいてきている。こういう弾き方、音楽の世界をつくっているひとはほかにいない。奔放なる天才・美の女神とよぶにふさわしい。おどろくべき力と技、内容をもっている。それでいてこの世の栄達にはまるで関心がないのだ。外交的にはきわめて謙虚な姿勢に終始しているが、この世の自分の地位にまるで執着がないくらい、自分の世界で満ちたりているからなのだ。自分にすばらしい自信をもっていることは、いわずともあきらかである。

 

きわめて理性的に言っても、これだけのことは言っておかなければならない。むしろ、理性がぼくのなかで平静さに復帰してくるほど、こう言わねばならないものが見えてきている。彼女は知性そのものだ。そして、人間として知性であることの負荷、明暗を、すべて引き受けているひとであろう、と思う。知性は、純粋な魂(彼女の全作品に現われている)に奉仕する場合にのみ、真の知性である。

 

この、ぼくが知覚するものを、表現する言葉を、ぼくは持たない。

 

 

 

 

ぼくも自分の勉強(高田博厚研究)に精を出すから、心配なきように。