2015. 6. 14
 

彼女の音楽に向かい合って聴きながら ぼくは「聖なるもの」 あくまで「人間的な」聖なるものを感覚的に覚え バッハのカノンと同質な神秘な宗教的宇宙を感想する。マルセルはバッハ音楽によって「神」に目覚めたと言うが、ぼくには彼女の音楽がそうなのである。同時にそれいじょうである。現実の彼女の魂を愛さずにいられないから。ぼくの彼女への愛ははじめから内面からのものであり感覚においてメタフィジック(形而上的)なのである。
 こんなきよらかな純粋音楽が いまこの時代の音楽として聴けるのは奇蹟だと思っている
 彼女が「天使」「女神」と云われ「崇拝」されていると聞くのは、われわれの世代も正常な感覚を保っていることの証左だ。ほんとうに kaléidoscope (万華鏡)のように こんなに表情の多彩なひとはぼくは経験したことがなく それじたい神秘だけれど、すべて美しくぼくは愛する 音楽の彼女の魂はひとつで いつも海のように深く優しく神秘だから

 彼女が弾く音楽がこんなに感銘させるのは、曲を演奏する彼女の音楽そのものへの敬虔さ彼女のこころの全的なありようなのだ そうとしかぼくは言えない。そのいみでこの演奏は彼女のまったき創造なのだと判明に実感する。ぜったいにどんな他の名手にもこのようには弾けない。彼女のみがこのように弾いているのである。何て素晴しい! 「彼女のZard いがいの演奏はないのか」という声をよくきく おもいはおなじである。 ぼくは彼女の演奏から感じる彼女の魂を信仰している。彼女の「人間」を信仰している。その天女のような形而上性とともに。いっさいのうわつきも誇張もない、いま彼女の音楽を聴いているこのときに