いまの場合、心は意志、身は情念の域である。反省力のある人間は、自分の情念域を対象化して自分から引き離し、「意志の合理」で動こうとしがちだが、これは気をつけないと、或る情念域の事柄に集中している場合、身体に急激なストレスを加え、思わぬ「大怪我」になることがありうる。 人間は、生活上、さまざまな次元のちがう事柄に、同時に関心をもち、言動せざるをえない場合が多い。難しいが、時宜をわきまえて、「意志と情念の一致」、すなわち「心身合一」を、生活の場では心得るべきである。これは、情念に引きずられて言動してしまう場合の危険とは、対極にある、「理性的」であるがゆえの、意志に引きずられての危険である。 

 「中庸」を保つには、咄嗟に「内面的時宜」をわきまえて意志決定できるよう心掛け、それに習熟することが必要だ。 いまの不安定な状態のせいで、意志的に前のめりに生活しなければならないぼくには、ことのほか難しい。じっさい、それで今年は思わぬ「大怪我」をしてしまった。

 

 〔 同じことを、反省的には心身分離の二元論的人間理解を示したデカルトは、注意したのだろう。実践的には「心身合一」であるべきだと、弟子エリザベトに説いている。これもデカルトの優れた良識をしめすものである。〕