ぼくは、尊敬したい人間は、言われなくとも尊敬する。知に秀でているからではない。どんなに知の努力をしていようとも、それが出来るだけ人格的に欠陥があるのではないかと判じられる者が世にはあふれている。そして結論的に判じられることは、人間は己れの人格相応のものしか、その知の努力によっても得ていないということだ。 

 

 知は思想の審判者ではない。己れの人格すなわち思想に応じた判断ができるにすぎない。 けっきょく、ディレッタントであることをあからさまにも表明している者など 尊敬も感服もできるわけがない。ブログ界にはそういうものがあふれているのは、みなも、ぼくも、知っているとおりである。  その書きぶりと結論の落差にはいつも失望する。

 

 

 

そういう者らとはまったく異なる意図・動機の営為を、読者が聡明であれば この欄に見いだすであろう。 

 

ぼくは知者であろうなどと一生のうちでかんがえたこともない。ただ自分を知りたい。そうしたらあとのものはどうでもよくぼくは幸福なのだ。自分は愛と信仰においてある。 そこにおいて緻密でありたい。 それがぼくの思想である。