ぼくが再び高田博厚についての文章を書くのは、いまの読者のためだけではなく、学問としてであって、後世に残すためである。 それを求められているようだ。 〈売れ行き〉や〈順位〉のためではないのだ。

 

自分の古い習慣に従って自分に仕事を課すのだ。あとは成りゆき任せだ。  

 

 

 

 

 

演奏覚記  

 

クラシックの演奏でも、精神的なつもりでも、「意識的な効果狙い」が介在するかぎり、直接に心を打たない(「理性」が感知されるのではぼくはまだ不満足なのだ)。 技巧も素晴しい上に直接に心を打つ裕美ちゃんの演奏は、思惟的な精神性志向を超えた「愛の現前」の演奏があることを経験させてくれた。 彼女はぼくの精神に「革命」を起こしてくれたのだ。 ぼくはもう観念的志向の学問研究はできない。

「あなたはそこにとどまっていてはだめ」 と その存在そのもので忠告してくれる伴侶をぼくはいま持っている。 この言葉に応えた学問をしなければならない。