そう思えば落ち着く  

 

 

 

 

 

 

 

 

人生は怪我の、すなわち過ちの善用である。過つのは純粋であり情熱があるからである。過ちが罪ならば、罪はむしろ堅固な善の礎となるものであり、ここに、罪の意義さえ、悔い改めとともに在る。 過たず常に正しく振舞う者は、情熱のない偽善者であることが往々である。天国はこのような者をかえって最も嫌うだろう、とぼくは思う。