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あの科学者の自殺は労災ではないのか。なぜ問題にしない。日常的な〈学災〉による学童・生徒のもあるぞ。何のための学びの場・時代、学問なのだ。どこが平和文化社会なのだ。一方で下劣下等な大衆娯楽天国。天災でわからないならいまにソドムとゴモラの火も来るぞ。何でこういう想念が湧いて書くのか知らん。これがいちばんおそろしい。「雨よいつまでも降っているがいい」と言ったら、観測史上空前の長豪雨だったではないか(妙なことに広島と長崎を雨は狙い打ちした)。私のせいか?


前々節の最後で「悪の感謝」とはわれながらよく言えたと思う。本質的な悪を以って(に拠って)肯定的積極的な善エートス(持続的徳意識)を社会は創出するのに長けている。


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日本の首相が靖国神社に参拝すること自体に私は反対しない。それより他国が日本国内の事柄に容喙・忠告することにたいする反感が絶対的に明瞭である。しかし私は例えばフランス・パリの凱旋門広場を想う。そこはフランス戦没者の追悼の場である。ここに佇む市民の、祖国の自由の為に殉じた同国人(同胞)への想いは、個々人様々であろう。御仕着せられる感情様式は何も無い。犠牲者への其々の想い(思い)と、その自分にとっての表現行為があればよいのである。この自然体の自由の国の意識は範としてよい。

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いまさら政治記事など読みたくない。世の中で実力を行使できる人々は勉強してほしい。私の言うのは通常論・本質論であって、現実はもっと緊迫しているのかもしれない。日本の自由と独立、正当妥当な認識を守ることは、自分のそれらを守ることだ。これは普遍的な人間根拠に基づく。

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僕がヤスパースに「没頭」していた頃、或る人が僕の様子を見て、鋭い指摘をした。「ヤスパースはいい。しかしあなたは自分のために何をやっているの?それをやらなきゃいけないじゃない。」僕は内心、言われたと思った。その後の僕の方向は、僕自身の必然的段階を経て「自分の」道へ出ることだった。そのとおりやってきた。これが間違いであったとは、だから神にすら言わせない。僕が今、忠告するヤスパース学徒は、僕の嘗てのあの段階にずっと留まっていて、もし僕と同じことを言われていても「言われた!」とも感じなかった者達ではないか、今も感じないのではないか、と僕には思われる。僕が忠告していることは、嘗て僕が言われたことなのだ。それを繰り返している。はたして、ぴんときたようだと僕が思ったことはまだない。

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昼間が、述べたように落着かないので、落着ける夜中にどうしても寝てしまおうという気にならない。どうにか生きている気持に浸れる。この欄の中だけでも正常な人間生活をしたい。(もちろん、体の機能は疲れているが。)



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ヴァカンスもそろそろ終わり
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           海