裕美さんの演奏を一言で言うと、天使の演奏、至純の演奏であることは繰り返し言ってきた。ずっと感じてきたことの別のことをいま言うのではない。裕美さんの演奏は 教養ある演奏である。 現在、どんな学芸分野でも、教養を感じさせるものがほとんどなくなったとぼくは感想している。教養はむろん多量な知識ではない。教養感覚、ということをぼくはずっと言ってきた。ぼくの愛好する思想家・芸術家にはすべてそれがある。これのないものにはぼくはまともに関わり合おうという気は起らない。教養感覚こそは品格である。
彼女の演奏はすべてそういう意味で絶品である。彼女の本質そのものがそれなのだ。すべての彼女の演奏が 至純な教養品格の世界のものでしかない。
教養とは 人間の精神的器量、魂の器量であり、高度な平衡感覚による落ち着きである。人間そのものが動きのなかにあるから、一生をかけて磨くものである(真の「仕事」はこの意味で自分を磨く)と同時に、人柄に固有な本質でもある。「そのひと一生のものは変わらない」 と 高田先生が言うときの「変わらない」ものには たしかに教養の根源がある。 教養は 身に着けるものであるよりもむしろ 自分をどれだけ掘り下げられるかである。一般に言えることは、自分を掘り下げることを阻むものが自分のなかにあることこそ問題である ということである。