今年2月9日:
「神への敬虔さのない者はぜったいにほんとうの思い遣りなど持てない。 神の意識が介在しているのが真の思い遣りである。」
自分と向き合えない者は、ほんとうの思い遣りは持てない、ということ。
自分と向き合うことは神と向き合うことだから(そこから思い遣りの方向性が得られる)。そうでない向き合いはもうぼくには感覚としてわからなくなっている。 読者がぼくに躓くのはそこだろう。
裕美ちゃんと向き合っていてもぼくはいつも神に向き合っている。そうでなければ向き合っていない。これはぼくが心掛けているのでは全然ない。純粋な感覚的なことなのだ。
それがわからなければ、あなたがたは、裕美ちゃんの音楽も表情もわからないだろう。 そしてぼくは、メタフィジックのあるひとと ない者とを、まったく瞭然と判別できることに、このいま、はっきりと気づいた(これまでもずっと判別してきたことがはっきりとした)。
宗教者や精神世界者は、ぼくに言わせれば、メタフィジック感覚とはむしろ無縁であると思う。彼らにあれだけ問題が起こることも証左である。