スピリチュアリストの「常識」は完全な誤りであり、ほか、完全に無意味かつ有害である。第一に、悪魔や悪意の積極的加害を個人の責任の外に認めない限りにおいて。第二に、個人の内部に存在しない要素の出来事と個人は出会うことはないという、およそ悪魔の自己正当化にしか寄与しない無意味かつ有害な言説を弄することによって。

 人間の良心的精神のなかに根深く存する信賞必罰の信念を、悪魔は可能なかぎり利用し、この信念をみずからの隠れ蓑とし、この信念のなかに潜り込んで策動し、人間としての人間を倒そうとする。単に「誠実」なだけの人間こそ、悪魔の餌食となり、無自覚的な傀儡となる。

 

 

 

 ぼくの意図は、魂を傷つけたスピリチュアリストを謝罪させることにある。 そのために スピリチュアリズムの原理的通念の誤りそのものをスピリチュアリストに認めさせるつもりだ。

いっさいは、スピリチュアリズムに、責任ある人間哲学が不在であること、にもかかわらずスピリチュアリストは他者の魂に断定的言表を為す「言葉の暴力」をやめないこと、これに起因する。侮辱罪で訴えることのできる言葉の暴力である。

 

日本でも侮辱罪を成立させ、スピリチュアリストを法廷に訴える人々が現れてほしい。「イズム」の名称や内容的差異・特徴は問題ではなく、共通する原理的通念・態度によって、「スピリチュアリズム」としてその向きの観念形態をぼくは括っている。 

 

発した言葉には、人間に記憶があるかぎり、時効はない。言葉は不断に再生されて、受けた側の不快と苦痛は終わることがない。言葉は、発した本人が誤りを認め撤回し謝罪する言葉とその真実さによってのみ、相殺され解消されることができるだろう。そのくらい、発した言葉には魂から責任をとらなければならない。そうでなければ人間として否定される。多くのスピリチュアリズム系の人間などを、ぼくは人間として認めていない。彼らは人間となる路に就いていないから。そのうえ他者の心にさしでがましく言説で関わり、傷つける。彼らは実証的に愛の反対であり、懺悔しないのなら滅んでほしいとぼくは本気で思いつづけている。

 

 

 

 

補遺 :

一つの観点を絶対化しない 

この世の事象は、一つの原理や観点からのみで理解できるようになってはいない。精神的観点から事象を捉えて経験を自分の糧とすることは、個人の自由ではあっても、客観的世界像とすることはできないことは、物質的観点から事象を解釈することはできても、その解釈を絶対化することはできないことと同様である。