テーマ:

ベートーヴェン(1770-1827)・ヴァグナー (1813-1883)
ベルリオーズ(1803-1869)・フランク(César-Auguste-Jean-Guillaume-Hubert Franck、1822-1890)
これを見ながら、フランクにはヴァグナーの前にベルリオーズ音楽の経験をかんがえなければならないと確認した。聴いていてそう感じたのである。フランクにあるイマージュ力はベルリオーズに繫がる。しかもベルリオーズやヴァグナーにありがちの放恣な劇場性はフランクにおいて克服されている。いま私は彼の交響詩「ジン(魔神)」に魅了されている。一楽章より成るピアノ協奏曲と同じである。精神的に緊張しているだけではない、殆ど耽美的に魅惑するものがある。精神性と耽美性がともに統合されて実現されるとき、フランス音楽の最良のものが現れる。フランクには精神の高貴な孤独が外界に開かれている親密さがある。この真正の親密さは、大音楽家にもありそうでなかなかないものだと私はいつも思って(感じて)いる。これについては幾重にも感じ表すべき経験襞(ひだ)がある。人間の「魂」にとって音楽とはいかなるものかを反省するとき、ただ多様な陶酔経験を味わうだけでは済まない吟味すべきものがある。これについてはまた稿をあらためなければならない。フランクの音楽位置はやはり私にとって相当重要である。馴染みの私も愛するヴァイオリンソナタ(そして勿論交響曲二短調)だけでなく、彼の交響詩作品ももっと聴く機会があってよい。それにしてもこの「魔神」にもある〈迫るもの〉は何なのであろうか? 私は直接感覚を大事にするから添附の解説も意識的に未だ読んでいない。神秘に魅惑しつつ迫る当体をつきとめたい。時代と、東西さえも超えたものがここにある。


〔彼の荘重厳粛なオルガン曲も同様に聴かれるべきである。森有正の感銘深い演奏記録も残されている。〕

_____

フランクという人は弟子の人望も厚かったようだが、穏和な人格を達したとしても非常に厳しい頑固で深い葛藤すら抱えた本来激しい性格の人であると感じる。風貌からだけでなく音楽そのものにそれがある。彼の静謐は、もちろん彼の生来のものであろうが、再び闘いとられたものでもあろう。教会オルガニストであった彼の怒濤の様な、あるいはバッハ以上に厳かで深い味わいの、両極端が現れた諸オルガン曲からもそれが知られる。