スピリチュアリストも学問者も、じぶんのなかにある見たくないものに蓋をしている者たちである(ここでの彼らの思いちがいを判定するポイントをぼくは知っている)。そうでなければ、あのように規範や教説を他に説けるものではない。 ほんとうにじぶんと向き合えている者は、他にむかってそういうことはしないものだ。   

 

 

とくにだめなのは、二人称関係を超える意識軸を自分に培っていない(自他関係を神の意識に基づけておらず、社会的な自他関係においてさえ、全く直接的な二人称関係を自明的に当然のものと見做して振る舞っている)、日本の所謂最高学府出の哲学研究者たちであり、西欧の思想に従事していてもそうなのは、どうかしていると ぼくは一貫して思っている。

 これはよく云われることであるが、実際これは、日本の知識人の重要な意識問題であり、事実であることを、ぼくも確言する。

 

 

 

 

愛情の直接性をぼくは否定しない。しかしむしろここでこそ、神の意識の不在な関係は破綻すること、ここにおいてこそ神の意識の空気のごとく臨在することを、みるのである。