高田博厚「ポール・ヴァレリー」(1967・4・17)著作集IV 

 

 

 

「ヴァレリーは難解だ」といったらあやまりになるだろう。しかし日本的思考性、少なくとも体系化しようとするドイツ的哲学思考に学んだ日本人にとっては、まとめることがむつかしいヴァレリーである。私は二つのことを思いだす。昔パリでフランス語を勉強していた日本人がやたらにむつかしい本を読みたがり、マラルメを教わろうとして、先生に「マラルメはフランス人にもむつかしいのだが」といわれて、「なに、日本人は勘が好いから解る」といった。また日本のフランス文学の大御所が、日本にアランが流行しだした頃に、「ティボーデェは立派だが、アランなんて師範学校の先生だ」といった。この二事が如実に日本の思考の浅さを現わしている。サンボリスムを象徴主義と訳して、そういう詩人が日本に現われても、またイデアを観念とか思想と訳して哲学的思弁を試みてみても、そこまでに至る、感覚から形(フォルム)を生成する経路がちがう。本質的思想(イデア)が形を成すか、その思想集積が乏しいために概念化するかのちがいであり、この意味においてはたしかにヴァレリーもまたアランも難解であろう。彼等にとって到達点つまり「形(フォルム)をなしたもの」であった「象徴(サンボル)」にせよ、また「思想(イデア)」にせよ、私達はその結果から彼等を推察してはいけない、彼等と同じ思索経路を自らに得なければなるまい

 

 自分自身のことを書くが、私は昔日本にいた青年時代、アランもヴァレリーも知ってはいなかった。けれどもフランスに行って、長い年月の私の思索の照応は常にアランと、またアランを考えれば不可避的に対象となるヴァレリーであった。(これに対比してまた私は絶えずジイドを考えていた。)私のフランスへの理解は彼等に負っている。そしてこのことはモンテーニュ、デカルト以来の合理と経験によるフランスの思索土壌、精神伝統への感得と一致した。(詩においてもヴァレリーたちの象徴主義とロンサールたちのプレイアッド詩人とが相反するように見えながら、感覚と言葉の関連の緻密さの点で私は共通性を感じた。)「存在」についての哲学的考察で、ヴァレリーやアランの思考方法に、ドイツ哲学の中で現象学派が近づいていると私は思うが、しかしキェルケゴールの「実存」観念とフランスの合理経験主義とはちがう。フランスにドイツ的思弁を導入したのはサルトルであるが、「思想」と「行動」を頭脳の中で概念的に結び合せるのと、ヴァレリーの「思想即行動」とは意味合いがちがう。ヴァレリーはアランと同様に新説を打ち建てたのではない。彼等にとって「絶えず考える」ということは、歴史即ち人間経験の集積の中に「普遍なるもの」を見出し、それに「自我思念」が一致する、それが「行動」であり、思想の結晶体なる「形」・「定義」である。「古いもの」は忘れ去られ、「象徴」か「抽象」が歪曲して考えられている今日、ことに日本知性者は本気でヴァレリーを読むことをすすめる。古いものへの愛とはただの伝統保存ではない。古い集積の中に普遍の形(フォルム)を見出す、即ち実感の上に思想を築きあげることである。象徴や抽象はそれの結果なのである

 

 ヴァレリーはアランと同様考えつづけ、書きつづけた。「存在」自体が「考えること」だった。あの厖大な手記を残したこういう存在に対して分類し定義づけた解説、紹介書など書けるものではない。彼等と「対話」しつづけるより外あるまい。そして彼等のように明晰な「考察」が私たちにできるかできないか? 私はヴァレリーを通して感じるフランスの思想集積の厚みに参ってしまう。しかし私はいいたい。ヴァレリーの『海辺の墓地(シムティエール・マラン)』や『若き(ジューヌ)パルク』は彼の結晶体である。あれを熟読して解らなかったら、彼の全手記を読むが好い。「思索する」ということを根本的に考え直してみることだ。ヴァレリーの意味する「明晰」とは頭が好いことでも、勘が好いことでもない。もっと「数学的」なものであろう。


 


 

 

 

 

 

 

 

これはぼくが内容的に殆ど暗記している文章であり、この精神態度に意識的に則って『海辺の墓地』をこの欄に訳し分析した。


本質的に重要なことは、この文章は まさに「彫刻家」の「思想」理解を示している ということである。