ぼくが集合的容喙現象とよぶものの背後には、集合無意識の次元があり、この次元が高度の人為技術による操作的介入を受けている、とぼくは想定している。人間の技術なのか、高次元知性体のそれなのか、あるいは両方の混合なのだろう。言えることは、けして道徳的倫理的介入ではなく、技術実験的介入だということ。それはぼくがこの現象の経験者として感じることである。いわば、集合無意識次元が高度にコンピューター化している、と表現できる。それに応じて共時性現象などが 特定の個人を軸として展開する、自動的システムが出来上がっているのだとおもう。この自動システム自体が自立的に自己運営しているのか、このシステムの外部から統制されているのか、あるいはこれも両方の面をもつのだろう。 このシステムは現在のわれわれの現実のなかに、既におどろくほど浸透して機能している。このことを、ぼくは自分の首を懸けて己れの経験から断言し証言する者である。 

 

 とんでもない世界が準備され、出現したものだ。いまでも、ぼくの生きる世界にこういうことが起こったことが信じられないし、信じたくない傾向のほうがぼくには強い。 だがこのなかでぼくの薬害強制事件も起きたのである。

 

 

SFなどで言われているようなことは、既に実現しているのである。 ぼくがこういうことを言うようになろうとは!