天才には障害が多いということはよく納得できる。 

 

 

天才の自己課題は、障害をどう我有化するかだ。これは天才を人間にする課題である。

 

 

人間的な天才になる、これが主体性であり思想である。 

 

 

芸術はこうして人間の芸術となる。 

 

 

人間と思想が伝わる芸術をもとめる。

 

 

 

どんな霊感も、人間の魂ではないのだ。 われわれを感動させるのは、霊感に魂が籠もったときである。天使の霊感だけではほんとうに人間的に感動させない。霊感に魂を入れるとき、人間自身が天使となるのだ。これこそ愛であり人格である。 創造主にもできないことである。

 

 

彼女の演奏には、人間(思想)と魂がある。そのような天使なのだ 

 

魂を籠めようとする意志は愛そのものだ 

 

 

 

 ヒーリング音楽やヒーリング絵画なら、効果計算でつくれても、魂を打つことは、創造主をも超える人間行為である。 これのみが人間をとおして神を感得させる。芸術とはこれのみである。そして魂のみが愛である。 霊体ではない(スピリチュアリズムはマテリアリズムと変わらないとぼくが言っていることの意味がまだわからないだろうか)。