カントは時間・空間は存在自体に付着しているものではなく、人間にとって現象が生起する形式であると見做した。この見解は真理であると思わせる経験をぼくは異変以来ずっとしている。現象起因域は、時間・空間を超えた五次元以上の世界にあると思わなければ、理解できない現象なのである。しかもこの現象は、じつに技術的に操作されていると思わせる。異次元科学による操作を想定させるのである。聖なるものではけっしてない。時間・空間の彼方にある知的生命体が、その科学によって惹起させている、と想定することが、いちばん無理がない、という見方に気づいた。この知的生命体は、創造主に相当するとは見做されうるだろうが、ぼくの神ではないのだ。聖なる存在者ではけっしてない。デカルトは、純粋思惟から神の認識に至ったが、神が世界を創造した仕方の説明に移ると、「機械仕掛けの神」と批判される。ぼくのいう創造主も、そういう本性をもつ存在、つまり自分自身法則システムであるような存在として、充分かんがえられる。世界を創造するための計算知性は、計算する意志とともに持つだろうが、それが聖なる善意志である必然性は、ないとぼくは思う。純粋精神内で認識した神に、即物的宇宙をも創造させたデカルトの論法には どこか飛躍がある。 現代の一説では、この異次元の「機械仕掛けの神」の座に、「宇宙人」を観ている。われわれの三次元に生きている存在ではない。この観方からは当然、この異次元存在を聖なる神と見做す動機は否定される。どうもそういう存在の技術によって計算的に起されていると見ることが、いちばんぼくの経験感覚としっくりする。その異次元から、ぼくの周囲の広範な人間たちや生物・自然現象までもが操作・介入を受けているという、まさにこの説明こそが適切であると思う経験をぼくはしてきているのである。

 

問題なのは、地球の人間で、まさにこのことを最高秘密事項として知り、理解しているのが、超大国の最高責任者であるという、本人たち自身の真面目な告白が、メディアの前でなされていることであり、日本では報道されていないことである。世界の事態は切迫しているらしい。

 

〔ぼくの被害経験から、「異次元人」と連携結託して有害技術を同胞に行使している地上の人間集団がいることは、事実なのである。〕 

 

 

 異次元知性体が、ほとんど無作為といっていい恣意性をもって、人間に接触関与する場合、関与される人間の精神深化程度によって、この関与についての解釈は様々だろう。しばしばこの関与経験は、被関与者を増長させるだろう。それについてはなるべく寛容であることがよい。我慢できるかぎりにおいて。 

 

 狂人の言動も同様。 

 

 

 

 

 

ギリシャ神話には、「神々」と「人間」との闘争が生々しく記録されている。