実践的に避けるべきは、マテリアリズムとスピリチュアリズムである。この両極端は、人の心に土足で踏み込む。
魂との面し方に、二つとも無知である。 その点で、この二つはたいして違わない。
この両極端でなくても、人間はなんと偽ものが多いのだろう。間違った意識で生きているのが普通の人間であると言っていいくらいだ。学や信仰の有無にかかわらない。間違った意識だから、この地上に生まれてきているかのようだ。自分の意識しかかんがえていない。だから、せめてひとのことを判断しないようになればよいのだが。そうすれば、人間は怒りをいだかれないだろう。ぼくはかなりの程度、これができているように思っている。
偽ものとは、自分がいいかげんであるから人のことをとやかく言う者のことだ。ところが みな、自分は人のことをあれこれ言えるほどにはしっかりしていると思っている。
ぼくが怒るのは、このことと、神聖な秩序の無さのみ。
火は浄化するものだ。怒りはぼくにおいて浄化する火である。
怒りもまた深化する。 怒りはぼくにおいて聖なる火である。