きょう昼撮影。
奥ゆきのある絢爛幽玄さに気が晴れますね。
スズメもメジロも花に来ていましたが、遠くからでも(日本の)スズメは人影を察知すると逃げてゆきます。
メジロは残って四羽くらい、花(の蜜)を食べるのに余念がありませんでした。
それでも、シャッターの音のせいか、ぼくの思念を感じたせいか、警戒するような鳴き声が聞こえたと思ったら、いなくなってしまいました。木にとまっているときでも適当に人間とは距離をとって食事をしているので、こちらも写すつもりはなかったのですがね。
さて、このくらいにして自分のことに集中しないと。
人間の魂というものは、単純に判断しようとすればどういうふうにでも単純にできるものだ。複雑であるのがよいというのではない。何を欲するのかということがすべてである(引っ掛るものがあるものには乗らない)。そのことに容喙するほど単純な、人間の奥ゆきのない者たちがあふれていることが問題である。
悪魔というのは、一種の営業である。その言動作用によって何か実質を得るというのではない。無意味の自己目的化である。その営業行為じたいによって実質をつぶしてゆく空虚である。
この世の生そのものが、そういう空虚の営業へ引き込む。そういうものであることを悪魔はぼくに示している。真の生は、それへの反抗である。
一般論的理想をぼくは掲げているのではない。ぼくは自分は神ではないことを知りつつ、自分しか信じない、信用しない、と言っているのである。それを意識的に決断して生きている。デカルトや武者小路実篤と同じである。