今年の心掛けの一つは、あまり書かないようにすること。他のことをやらないと。

 

「一つの書」としては膨らみすぎているので、内容を把握しうるようにする。

〔マラルメやブーレーズではないが、「書」というものは「曲」でもある。主題の反復は変奏として「作品」に不可欠であり、「作品」の構造を形成するものである。その意味では、「把握しうるようにする」ことは要約することではない。生とは本来、一つの原理から複雑多様な世界(宇宙)を展開することであり、これら詩人と作曲家の創造理念はぼくのものでもある。〕

 

読者は、これまで書いたもので読んでいないものを発掘してください。意義が古くなっているものは一つもありません。


 


テーマ:

 

ルノワール「カンネ風景」(二部分)1902

『経路』で内容的に引用され語られたルノワールの晩年の風景画を一つ収めたかったが、記憶にあった作の彩色複製が手元に見出せない。比較的その頃の、印象の似た作をここに収めて、晩年の作風に想いを馳せる縁(よすが)としたい。
 芸術家はなにより知性者・教養者であると思う。その造形・フォルムの探求において。あらためて久しぶりに彼の作品群を観ながら、ぼくがいかにルノワール好きであったかを思い起こし再自覚した。どの画面にも現前する幸福の芳香は、知性の本気の探求によるものだ。対極の草土社風の劉生とはルノワールを巡って高田先生は「不愉快になる程激論した」そうだが、〈実在観入〉の態度と〈理想具現〉の姿勢では、同じ白樺派に縁のある者同士であったが、求めるものが根本的に違うのはぼくも了解できる。

「宗教的感情は、過去何世紀もの間に、弱まったが、その影響下に確立された法則は、革命期に至るまで、強固な基礎のうえに存在し、そのなごりは、カトリック文化に生きる人々の間で芸術の大きな方向を支えてきた。わたしは、カトリック文化とはっきり言う。というのは、わたしたちの見るところ、この文化が支える美の観念と、アナーキーで、平等主義的で、醜悪さにとりつかれた初期キリスト教文化のそれとの間には、本質的なちがいがあるからである。もし、キリスト教がその原始的形態において勝利したのだったら、美しいカテドラルも、彫刻も、絵画も生れなかっただろう。さいわい、エジプト人とギリシャ人の神々はまったく死んでいなかった。それを新しい宗教にとり入れることによって、かれらは美を救った。」ルノワール