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闇のなかに光があり、闇はこれに勝たなかった、と云う〔ヨハネ福音書〕。 

ぼくはもうひとつの観方をする。光があり、闇に来て、これと接触した。このとき光から真の闇が生じた。純粋な愛が此の世の闇と衝突するから、真の闇すなわち憎悪が生じるのだ。憎悪は此の世における純粋愛の現象でありうるのである。憎悪を持たないことはいかなる価値でもない。愛を持たないことと等しいから。 理性的な愛でも、怒りを生ずる。怒りに、愛のないことはありえない。

怒りえない者、憎悪しえない者は、ほんとうに理性をもってもいなければ愛をもってもいない。

ぼくが、理性や愛が此の世の闇に触れて真の闇が生ずる、と言ったことは、事態の仮の表現であるが、実際、此の世にたいする真の破壊意志は、不真面目でいかなる本気さもない此の世の闇ではなく、目醒めて純粋愛のある魂の、此の世にたいする必然的な意志ではないかという気がしている。それを「真の闇」と言うときのその意味理解は、観方によってぶれがあるかもしれない。

悪魔は、故意に、破壊意志を誘導して遊んでいる。これこそ真の闇だ。




世界が存続するということは、世界がぼくの意識にとって、ぼくの魂の開かれた窓でありつづけるということである。