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谷口とぼくのちがい 他 共経験 ・ 信仰 方法的「反デカルト」
2016年4月22日(金) 23時11分33秒


長文です。 

 

 

 

「しかしぼくはいま、まったく新たな気持ちとして、信仰の秘義を知りたいと切望しているのだ。・・・
 ぼくにいまわかっていることは、信仰とはもはやたんなる彼岸への希望でもなく、またたんに制度や権威への服従でもなく、またたんに教理や教義を信じるということでもなく、またけっして人間であることの断念でもない、ということである。
 信仰とは、・・・無償の生命の充填なのだ。信仰とは何かを信じるということではなく、むしろぼくたちのうちに生起するこのような出来事なのだと、ぼくは思う。そして、その出来事が、ぼくたちの内側から発するのではないにもかかわらず、それがぼくたちの内側に生起するということに、信仰の秘義があるのだ信仰とはぼくたちに贈られることによってぼくたちの内側に生じる出来事なのだ。
 ・・・
 それゆえ、ぼくたちが自分の意志で勝手に信じるとか信じないとか言うことは、本来無意味なのだ。・・・」

 

同節引用の谷口の文。ぼくも、信仰とは 何かを信じたり信じなかったりすることではない、と自分の根源から言っている。よい確認ができた。