この欄の過去節を探索するにはぼくはあまり書かないほうがいいかもしれませんね。ときどき近況報告するぐらいにして。
月別
- 2016年11月 ( 57 )
- 2016年10月 ( 103 )
- 2016年09月 ( 94 )
- 2016年08月 ( 89 )
- 2016年07月 ( 91 )
- 2016年06月 ( 70 )
- 2016年05月 ( 68 )
- 2016年04月 ( 80 )
- 2016年03月 ( 91 )
- 2016年02月 ( 46 )
- 2016年01月 ( 50 )
- 2015年12月 ( 60 )
- 2015年11月 ( 93 )
- 2015年10月 ( 84 )
- 2015年09月 ( 90 )
- 2015年08月 ( 48 )
- 2015年07月 ( 47 )
- 2015年06月 ( 32 )
- 2015年05月 ( 22 )
- 2015年04月 ( 37 )
- 2015年03月 ( 57 )
- 2015年02月 ( 51 )
- 2015年01月 ( 70 )
- 2014年12月 ( 60 )
- 2014年11月 ( 47 )
- 2014年10月 ( 50 )
- 2014年09月 ( 61 )
- 2014年08月 ( 50 )
- 2014年07月 ( 93 )
- 2014年06月 ( 100 )
- 2014年05月 ( 140 )
- 2014年04月 ( 90 )
- 2014年03月 ( 34 )
あらゆる造形芸術家は音楽を愛し音楽とともに在るだろう。音楽のなかにない者は造形芸術をほんとうに感覚しないだろう。観ることは聴くことであり、聴くことは観ることである。「不可視のものを視る」ことは、造形でも音楽でも同様である。これは芸術が芸術であることである。彫刻(そして彫刻と同等であるような建築)は最も簡素な芸術ゆえに、最も内面的な芸術である音楽に最も直接する。