去年のいまごろ。写真に続く文章を読めるひとは読んでください。ぼくの本心はここにすでに書いてある。あらためて書くにおよばない。一分も違わない。
まったく「昨日」と同じだ。

(全文)


どんどん咲いています







ところでねえ、みなさん、ぼくは真心からこういうことしてますけどね、ほんらいの自分の身体力に基づいた集中力に満ちた自分ではないことを明晰判明に実感しています。これは人為的に奪われたことは2000%疑えない事実なのです。自然の偶然で運がわるくてこうなったのではないのです。人間的・社会的な怒りというものは抑えようがないのです。どんな他者の事例を見ようともね。じょうだんじゃない、そういうことではどうしようもない根源的感情なのだ。宇宙を叩き割る怒りは健在です。ほんとうに叩き割る。ぼくは言ったことはかならずおこなう。ぼくの力で宇宙はほろびます。ぼくを再建しない宇宙をぼくは否定する。すこしの比喩もなく現実に。ぼくの怨念をあなどらないことだ。世のなかは、表向きはしゃいでいてもそういうことではどうにもならないところにぶちあたる。ぼくなしのこの世の謳歌などぼくは認めないから。

ぼくの魂がわかりますか。

ぼくに同情しなければ誰も安泰にさせない。ぼくを認めない神の法も仏の法も無効だ。ぼくはかけがえのない存在だ。






ぼくの魂そのものが、この状況と状態に触発されて万華鏡のように様々な様相をみせる。そのどれもが心底に徹して真実なのだ。 経験力も了解力も貧弱で無同然であるのに空想と思いつきでものを言う世の輩から断絶して、実感のみ厳密に言葉へ彫琢するこのぼくにおいては、いかなる様相も見逃されてはならない。すべてを堆積した全厚みとしてぼくが在る。ぼくは矛盾してなどいない。

___


きみ、どうもすまない、きみだけのために この節をつくっていたのだ。傍から見ている人々に言いたくなったのだ。ぼくの根底がどれだけの感情を下敷きにして、上澄みの言葉を紡いでいるか。単純で幸運な人々にもそれを常に思い知っていてもらおうと。 きみもきっとぼくと同じだよね。

ずっと意識しています、きみの10月11日、すこし早いけど言いたい、
お誕生日おめでとう。


ぼくはもう誰も何も関係ない きみしかいない

金木犀の香りを嗅いだら此の世を終えたい そう思っている


それができるなら




いま 壁のうしろに貼ってある高田先生の肖像が このPCの画面に映った。はじめて見た。

何を仰りたいのか

ぼくの左目から涙がながれている