知識というものはあくせくさせる。
これを知るまでは落ち着かない、と。
知識そのものが際限がない。
いつ自分の生活に落ち着くのか。
はじめから知識など断念していればよかった。
そして美を創造する修練に懸けていればよかった。
断念・・・ はじめからぼくは本気で知識を得ようとしたことはない。
ただ世に、付き合いにもならない付き合いをするふりをしただけだ。
他人に、知識に。
ぼくには哲学的認識のみが重要と思えた。
これがぼくの「知」へのこだわりだった。
やがてこれも際限がないことを知る。
「自分の思想」に落ち着かないかぎりは。
ぼくは自分で根本的な知見に充分達したと思うから、今後はそれを深めることだけかんがえていればいい。
そしてすこしでもほんとうの創造をすることだ。
ここまできてなにもあくせくすることはない。
なりゆきにまかせて自分の生活に落ち着くことだ。
ぼくの欄は知識の概説ではない。中心にいつもぼくがいるから。
しかしこれも延長しすぎた。
この間にぼくが書いたことも忘れていることがある。
読めば新鮮に思い出す。あまり新鮮なのも途惑うが。
自分の書いたものを再現前させねばならない。
自分にとって自分を、自分の一貫を現前させること。
〔無限に生きて書き続ける作家というのは大変だろう。それでもやはり自分の一貫と深まりを見出しているだろう。〕
ぼくは自分のその時々の状態に即してそこから感じられることを記す。
しかしその知見の真実はゆるぎがなく不変だ。一歩も相対主義に譲らない。
ただ言い方は、もっと他の神経にさわらない言い方だってできるだろうということは言える。
しかしぼくの状態には そこまで気を遣うゆとりはない。
だからそのままにしている。
本質はそのとおりで、ごまかせないから。
むしろその激しさは、ぼくの本気さの表現となっている。
あいかわらず生きていないのに生きているという妙な気持だ。
体に回っていた神経組織が相当破壊されている。
文字を書けば同じ「あいうえお」だが。
ぼくの生まれたときからの生感覚を奪った人非人どもに呪いあれ。
ぼくはなにひとつ赦していない。
越えてはならぬものを越えた者どもだ。
観念して死ぬ気でおれ。
ぼくは心中ではこいつらをすでに殺している。