気になるのは、スウェーデンの作家ストリンドベルク(Strindberg、1849年1月22日 - 1912年5月14日)が既に、現在の集合容喙被害者に類似した経験報告をしていることであり、強制的な人工テレパシー経験はなかったであろうが、共時性現象や遠隔電気攻撃現象を経験していることである。これをヤスパースが整理して、精神分裂病の一典型とし、やはりスウェーデンのスウェーデンボルグ(Swedenborg、1688年1月29日 - 1772年3月29日)と同類の型に分類したことは既に述べた。両者とも知性的判断については生涯正常であり、経験した現象が異常である、という点で、同型に分類された(両者とも、知性そのものが崩壊過程を辿る病型とは区別される)のだが、これは、両者自身は実際に正常であって、環境世界のほうが事実異常(超自然的)になったのだという可能性を残すものだとぼくは思う。二十世紀前半のヤスパースの合理的判断基準で、そこまで展望できなかったのは無理もない。ぼくが言いたいのは、現在の遠隔人心(心身)操作で、生み出すことのできる現象に、副産物的に付け加わる特殊現象が、自然的超自然性の次元で用意されていること(すくなくともその可能性)を、ストリンドベルクの例は、示しているのではないか、ということだ。つまり、現代における高度技術の被害者であるわれわれは、人工的技術の直接的結果のみならず、この十九世紀人の経験した特殊現象まで、謂わば遡及的に引き起こされた副次現象として、経験している可能性がある、ということをぼくは言いたいのだ。勿論、この前々世紀人の知性と同様、われわれの知性、精神は正常で、周囲世界のほうが、その異常性へと転調された(われわれの時代においては人工的技術の行使によって)のである。
研究しなければならないことが多い。
内心の思いというものは、ふつうわれわれ自身の内に秘匿されて、公開されないものだ。それでもあまりに強い念や、言動に現れ他者に知られた思いについては、良き或いは悪しき報いとして自分に返ってくることを、われわれはうすうす感じており、昔からの伝承訓戒ともなっている。それをわれわれがふつう素直に受け入れ承認しているのは、内心にのみ留まっている思いに関しては、まだ大目にみられているからである。これが自然な、ふつうわれわれが受け入れ得る因果応報の状態であろう。ところが、人工的な読心技術によって、ただ対象者を価値的に貶めるために、内心にのみ普通とどまって外に知られない一過性の思いを、恣意的に選択されて外界(公)の場に公開されるならば、しかもそのいちいちの思いが、攻撃者側の下劣な観点に映ったニュアンスのものとして公開されるならば、実際にそのように言動も為されたのと同じ報いを、自然的超自然性の次元のメカニズムを悪用されるかたちで、対象者は不当に〈天罰〉として受けることになるだろう。このような状況に、人為技術によって投げ入れられた対象者は、人間社会からも自然的超自然界(霊界)からも、不当に踏んだり蹴ったりの状態になり、歴史上の大偉人でも、そういうことをやられたら、誰ひとりもたないだろう。読心技術は機械的なマインドコントロール結果のみではおさまらず、内心の思いの情報放出によって、対象者にとって、自然界の裏世界である霊界まで、不当に汚染されたものとすることになるのである。しかも、攻撃側は、あきらかにこの霊界への影響を、効果として攻撃に利用している。そうなると対象者にとっては、因果応報の秩序そのものが、自分の価値の肯定(正当な評価)の基準としてもはや役に立たない(無効である)どころか、自分の価値を否定してくるものとして、―この因果応報の秩序そのものが― 否定し拒否すべきものとなってしまう。まさに、被害対象者の置かれている精神的苦境は、そこまで深刻なのであり、一つ覚えのような僧侶的観点をもって被害者に教え面で対する無知で無恥な態度だけは、厳に慎まなければならないということは、通常者が心に銘記すべきことである。
開発技術の実験台にさせられた対象者(被害者)にとっては、「人は人、自分は自分」では足りなくて、「宇宙は宇宙、自分は自分」という態度が、自分を支える態度となるのである。〈宇宙に感謝、宇宙に一致〉などという命題も、被害者にとっては、思惟の浅い普通者の自己満足命題であり、場合によっては怒りの対象となるのである。この遠隔技術がもたらしたものは、ここまで深刻なのである。
此の世が、その背後にあって此の世の現象の生起や秩序に作用している霊界もろともに、ぼくを〈罪者〉として扱うよう、人為的にインプットされた――そのように解さざるをえない経験を、ぼくはしてきた。すなわち、あの東京マンションでのあきらかに人為的な個室の異変が、どうして周囲環境の異変にまで拡大したのか、これがぼくにはずっと驚異的な謎であったことを、ぼくは一貫して言ってきた。どうやらこの謎の見通しがたつところまでぼくはやっとこぎつけたかもしれない。
読者も、ここはよく読み、熟省してほしいと思う。
2016-09-12 02:41:11