これははじめて書くことであり、いままで誰にも、どんな身近な者にも話したことすらない。パリに居た頃、家を出て通りを歩いているときに、ひじょうにしばしば、その紳士を見かけた。「ひじょうにしばしば」というのは、印象である。何度も見かけたことは確かである。「ひじょうにしばしば」と言いたいほど、忘れられない強い印象がぼくのなかで重ね合わされているのである。その紳士はいつもひとりだった。誰かと言葉や挨拶を交わしているところさえ、一度もみたことがなかった。初老で温和な表情の中背ですらりとした、多分平均的な一般庶民のひとりであろう。いつも非の打ちどころなく、これぞパリジャンというシックであかぬけた外出着に完璧に身をつつみ、髭も完璧に剃り、人生の檜舞台に臨むような雰囲気で、しかし表情は必死で、その温和さのなかに、自分と沈黙の静かな決闘をしているのが、誰にもよくわかった。杖などぜったいに手にしていない。正常に立っていられないので、両手を歩道の傍の家壁にぴったり着かせ、壁を這いながら、身体をかろうじて立っている体勢にして、すこしずつ歩道を前に進んでいた。この「散歩」には、膨大な時間がかかるだろう。しかしこの散歩に自分のすべてを懸けているのが伝わってきた。事故か病気で立てない体になった。しかし自分の矜持あるいは人生への夢はそのままで、自分はそれをあらゆる運命に抗して貫徹してみせるのだ。その意志を誰でも読みとっただろう。 森有正が話していたことを思い出した、フランスには、デカルトなど一冊も読まなくともデカルト的に生きている人々が庶民として存在している、だからデカルトのような人物が出てくるのだ、と。この話をここで引用してもしなくてもよいのだが、それと多分類似の内実をぼくがその紳士から感じたことは事実である。これがフランスの男か、と。誰にも話しも書きもしなかったが、その姿があまりにいたましさと尊厳とを同時に感じさせたので、誰に言うのも躊躇させる気持がぼくのなかにあったのである。他と話題にするのが失礼なほどの悲痛と真剣さがあった。本人である紳士は、ただ自分のために自分らしい個人生活を、一歩でも貫きたい、その執念いがいのなにものもなかったのである。生活は手段ではなく、それ自体が目的であり意味である。そのことを自分の行為で生きているようだった。ぼくの記憶に最も忘れ難く刻まれているフランス人のひとりである。フランス人は、どのひとも、「個」を、「人間」を、あたりまえのように「感覚」させる、そのあたりまえさが、他国人には、不思議なひとびとである。個々人にはどんなにそれぞれの癖があっても、この「感覚」は、不思議なほど例外ないことを、いま思い、気づき、懐かしく思っている。
 出会ったすべてのフランス人に再会してみたい。なぜだろう。