真の修道士は神の力をもって悪魔を滅ぼす






 

 


 14世紀の画家パルナ作「聖ミカエルと龍」(部分)

ふとこの絵を思い出し、最初「聖ゲオルギウス」で検索していたら、なんとか見いだした。どこで馴染んでいたかと思ったら、国立西洋美術館で見ていたらしい。名画には失礼でも、醜いものは見たくないので、龍は切り取った。悪はやはり殺してもよい醜いものとして描かれている。



嫉妬はたしかにすべての精神的向上とは真逆である。精神性をひきずりおろそうとする最もおぞましい悪魔本質である。しかもこれは精神的世界で営為していると自称している者等の心中に巣くっていて時々出現する。 嫉妬も、これを表に出す危害言動(中傷)となる場合、それが持続的となる場合に、問題となるのである。矜持による歯止めのない者というのは、想像するのも嫌である。 反対に怒りは、これを持続させることが人間の義務である場合がある。




嫉妬は、自分の内なる自分自身のイデアへの信仰に目覚めないかぎり、正しく克服されない。





覚記
ロダンやブールデルに情緒的に感動して倣おうとすることは大変危険なことである。制作の結果として生じた「味わい」に倣いそこから出発してはならない。もっと根源へ遡り、自分でしかないものを、対象との関係である自己感覚において見いだす。あらゆる領域における真の芸術者はそれをしている。思想者もそうである。そうでなければ人間は納得しない存在だからである。そうでない人間はどんな領域においてもなにも感動させるものを有していない。魂の接触は、「自分」が「形」を得る場合しかない。それ以外は「詭弁」である。そういう詭弁が「学問」であるというなら、勝手にと見捨てるだけである。ぼくは「人間」にしか興味はない。