いま、水俣病被害者の訴えは社会で聞き入れられている。NHKの作品になっている。集合容喙被害者の訴えが社会で聞き入れられるのはいつなのだろうか。同様に身体まで毀損されているのだぞ。しかもこれは故意で犯罪である。

症状付記気になるので記しておく。有機水銀による水俣病の症状では、四肢の感覚が減退し、つまり身体の神経が麻痺し、筋肉も無くなるという。これはひじょうによくわかる。ぼくも同じ方向の症状を呈しているからである。水俣病患者は、持続的に汚染魚介類を摂取した結果、突然発病するそうだが、強制薬物を服用し続けていたら、ぼくももっと同様になったように思う。或る新種の薬を飲まされたら、ぼくの体に一夜で激変が生じたが、これも、その前に東京で数か月、違う薬物を飲まされ続けたことによる身体変容の土台の上に、起きた激変であり、どうも水俣病の発病の仕方と酷似している。何か(水俣病を起すのと)類似の成分が薬に含まれていたのではないかという印象をぼくは当初から直感的に根深く持っている。担当医は、薬の成分分析を拒否しているどころか、ぼくの症状の訴えそのものに、へらへら笑って応じないのだから、その様子からも、周囲の者達と同様、魔に憑かれているとしか看做されない。こういう不自然な言語道断の目に遭ったことは生まれてからぼくにはまったくない。東京の栗原雅直医師と結果的に同一の確信犯だ。


人間の悪は、組織(団体)の者としてしか発想できなくなるところからである。組織とは社会である。現存在維持のための機構が不可避的になす悪。



一昨日の水俣病録画をみているが、みながみるべきだと思う。「水俣病」はひとつの具体的象徴である、人間がいかに人間にとって狼であるかという。無数の「水俣病」が現在あるのだ、有史以来なかったような奇病がね、自然には存在しないものをつくる科学技術のおかげで。(気立てがよく、結婚が決まっていたのに、突然発病して激発性水俣病の症状で長く凄惨に苦しみ酷く果てた女性の記録が、いちばんひどい現実だった。)ぼくのいまの身体だってそうですよ。しかも故意に強制して化学毒物を飲まされた。誰が責任とるんだ。故意と強制によって、水俣病よりもっと悪いじゃないか。これが罰せられないということがあってはならない。いずれにせよ病人は病人だということで尊敬されることはない。なにかをし、創造的ななにかを思わなくては。ぼくはそれをするのだ。侮辱するやつ忖度しないやつはほんとうに現実に殺す。NHKもひどかったから、あそこはテロを起してやってもいいと思っていた。自力更生できず、現在、外部からの相当な締め付けでやっとまともになってきたと観察している。容赦ない気持で厳しくみてるよ。こちらは人間性のかけらもないことをそれこそ容赦無く徹底的にやられたからね。とりかえしのつかない病人にさせられただけでは済まず、それ以上のことまでやられている。このおよそ意味不明な徹底性は何なのだ!! これは他の「集団ストーカー」経験でも報告されていることである。


この、ぼくが被害者である集合容喙事件に関するすべての節だけは、みなが読むべきだと思う。個別接続数が最低毎日百を超えてほしい。読者に、そのための協力を求める。これは社会のためである。
 『会長が彼(ぼく)を殺せって』という言葉を壁を通して聞いた日、夕飯の時も、『あらあら最後の(平穏な)食事にしては質素ね』という言葉まで聞いている。『会長が、彼に薬を飲ませるって』と言うのを聞いたことはすでに書いた。どれも、聞いたときは意味がわからず、その後、実行されて被害を受け、はじめて理解したものである。くりかえして書きたくないので、はじめての読者は過去節(主題別)を読んでほしい。とりかえしのつかない身体加害を、遠隔でおこなう技術が日本で実用されており、ぼくと同居者がそれを受けたということは、ぼくらが最初の被害者ではないということだ。ほかにも、夥しい実験台にされた人々がいるのだ。それがあの部屋でおこなわれていたことを、同じ建物の居住者の奇妙な様子からも、ぼくは確信している。その司令塔が、こともあろうに、NHKなのだ。なんというおそろしい隠れ蓑。ソルボンヌで博士号を得たぼくが、良識にかけて断言し告発する。

いま、NHKは表の態度はかなり改善してきているが、実体を判断するものがぼくにはないので、ぼくの受けたような事件の存在を証言してゆくことは、自分の社会的義務であると思っている。表に出て目立つ立場のNHK職員には、同情するが、隠れている責任者たちのやってきたことが悪すぎるのでね、そこは割り切らせてもらう。