きのうはたくさん一挙にイデーが降り注いで、書く力が追いつかないと感じたが、明瞭にイデーを察知した経験には変わりがない。言葉にするのに時間をかけてよい。そのなかからいま言葉にしたいこと:


やはり裕美さんの音楽。彼女の音楽は、「純粋な祈り」そのものであって、純粋な感覚状態にある祈りである。マルセル的な「存在論的秘義」―存在への参与―を、あるいは高田博厚の純粋感覚としての信仰を、そのままに感得させる音楽であるのだ。「ぼくにとって」と、常識は留保をつけるようにぼくに言わないではないが、「他の人達にとってもそうだと思う」と、ぼくの本音は書くよう促す。「別の世界」(un autre royaume)―ここで小鳥が鳴いた―の啓示であり、祈りはただ手を合わせ観念的対象に思いを向けることではなく、もっと純粋感覚のゆたかさそのものであることを、言葉でなく教えてくれる。彼女の音楽はいつもそのような次元へとぼくの精神態度、内的秩序を合わせ整えさせてくれる。「このひとはいったいどういう世界に住んでいるのだろう」といつも不思議に思ってしまう。それを思うといつも「わけがわからず」涙が目に生れる。いまもそうだ。自然に涙が流れてくる。ぼくにはその「わけ」がわからない。ほかのことではこういうことはぼくにはないのである。理解より現象のほうがさきにいっている。

 書くことをいっさいやめてその時間 彼女の音楽と一緒にいたらそれがいちばんいいのだ。


 しばらくおやすみする。イデーを書き留めることはそれ自体疲れることでしかない。誰にとってもそうだと思う。言葉の技に無限に優るものがあるように思う。そこに「こころを開いて」ゆきたい。






「高田博厚先生と共に」を「高田博厚先生と友に」とした。「友」は無論 裕美さんである。ぼくはもう高田先生とのみ歩むのではない。この欄を先生と裕美さんに捧げる。高田先生は、自身の精神の師ロマン・ロランと共に過ごした忘れられぬ日々と、自身の心の恋人「クラマール小町」とよばれた娘と朝食を共にしたひと時の重さとを、「同じ重さをもってわたしのなかで生きつづけている」と書きえたひとであった。ぼくはそのように、ぼくの精神の師 高田先生と、裕美さんとを、秤に掛けえぬ等しさでともによぶことのできる自分になったことをかぎりなく仕合わせに、誇らしくおもい、このことを裕美さんに感謝する。














自分のための覚書
ここに記してよいかどうかわからぬが、気づいたので記しておく。ぼくは自分の「短所」として、「思い遣りがありすぎること」と書いているが、そのはずだと思っていたこのことの意味がわかった気がしているのだ。ぼくは他者の言葉に傷つきやすい。だからなんとか自分の心をその不当だとわかっている言葉から護りたいのだが、それがどうしてもうまくいかなかった。その理由は、ぼくの心の根底に、そういう愚かな言動をする者をも、あまりにぼくと同等の人間として見做してしまっている、殆ど無意識的(この言葉が正確でないことは分っているが、いまはこれでよい)な「平等主義」があるということであり、この態度が、「度を越した思い遣り」であることに、いま気づいたと思っているのだ。しかし、ぼくへの不当で愚かな言動とぼくが感じ見做すほどの言動をとる者は、それだけで実際に相当愚かな者であることはあきらかだと、いまぼくは思うに至っている。ぼくが学ぶべきは、そのような者達を、ぼくの心底で、ほんとうに愚か者として見做しきる、判断の訓練であるといま思っているのである。このような意味で、ぼくは「思い遣りがありすぎる」人間であったと、やっといま自覚しているのである。しかしそのような「深情け」で不当に傷つくのは結局自分自身なのだ(その結果憎むことにもなる)。ぼくは自分のこの短所を矯正しようと思う。これは「ぼくのため」の覚書であって、けっして誰にでもすすめない。ぜったいに、ぼくが愚か者と見做しきることにするような者達に真似してほしくない。そうでなくともそういう者達は、ぼくとは反対方向に逸脱し過ぎている、思い遣りがどういうものかの感覚さえ心底において無い者達なのだから。

書いてみて、これらすべての省察はじつにデカルト的であることを認めた。いまそれを説明することはしない。デカルトを知っている者は頷くであろう。