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恐れに根ざした信仰
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2015/06/20 - *1 谷口隆之助『聖書の人生論―いのちの存在感覚―』川島書店、1979 年 5 月、p.192. *2 精神科医で ..... さて、前節の冒頭でも述べたように、聖. 書カルトの .... リスト教による正統的な解釈だとし. て示されたのだ ...... 特に 18 世紀の啓蒙思想以来*2、宗教. が多くの人の ...... 神の似姿を失うことにもつながる悪しき. いであると ...



『 はじめに
信仰とは、「怖れからの解放」としての福音を信じることだと言われる。《真理は汝ら
に自由を得さすべし》と聖書にもあるように、それは「解放」の音ずれである。また、ギ
リシア語で「罪」を意味するハマルティアという語の原義は「的を外す」という意味だと
いう。福音とはだから、人間が神との正しい関係から「的はずれ」となって罪の奴隷とな
った状態からの解放の喜ばしい「知らせ」(Good News)なのだ。出エジプトに象徴的に
表われているように、それは、現代風に言えば「人間疎外」という名の奴隷状態からの人
間解放の福音でもあると言えよう。
しかしながら、キリスト教界は果たして本当に恐れからの解放の福音を人々に伝えてい
るのだろうか。その実態はかえって逆に「怖れに根ざした信仰」になってはいないだろう
か。わたしはキリスト教がその主張とは裏腹に、キリスト教が批判する諸宗教のそれより
も、その実態において、かえって怖れを過剰に強調する「怖れに根ざした信仰」になって
いるように思えてならない。時にキリスト教では、人間のさまざまな怖れを中和させ、人
を安心させるタイプの比較的原始的な宗教との違いを強調して、自らがそれら怖れに根ざ
した信仰とは違うのだと主張されることもよくある。しかしながら、そういった試みがか
えって意に反して強い怖れを内在化させる結果になってしまっているのではないかとわた
しには思えてならないのである。かつてふとしたやりとりから、わたしはそのような印象
を受けるようになった。
そんなわけで、本サイトの序論的な論考として「怖れに根ざした信仰」と題して一連の
議論をアップすることにした。当初の予定に反してかなり長大なものとなったし、まだ加
筆途中であるが、この辺でひとまとめとして独立ページとしてまとめることにした次第で
ある。』


『 怖れに根ざした信仰:目次
はじめに…(1)
1 聖書に名を借りた支配…(5)
聖書とその偶像視―信仰による虐待と聖書信仰― …(5)
2 神への怖れと信頼…(19)
健全な怖れと不健全な怖れ…(19)
畏怖と怖れ―人間を越えた存在に対する畏敬の念と怖れ― …(27)
3 「神を怖れよ」という福音…(33)
神を怖れる信仰は正しい信仰か…(33)
神への怖れと信頼―未熟な信仰と成熟した信仰― …(43)
4 文化の違いと神信仰をめぐって…(51)
甘えの感覚すらない欧米人と神への怖れ…(52)
近代化と個人主義がもたらす神への怖れ…(63)
最後に―神学の先鋭化と怖れ― …(75) 』