簡潔に記しておこう。ぼくが欧州から実家に帰ってきて以来、変だなと思ったことがいくつもあった。そのうち数字に関することを記しておく 〔いつか記しておこうと思ったことだ〕。父の車のナンバーが6666と6だけでできているのがおもしろいと戯れに思ったが、その後あまりおもしろいとばかりは言えなくなった。父は6月19日に亡くなったが、時は、その年の台風6号が通過した朝だった。そして、父を焼いた窯は6番であった。ぼくが気づいたかぎりで6がこれだけあり、どう思ってよいかいまもわからない。


その後ぼくが再び東京に居た頃、ぼくが殺人電磁波を(隣室から)受けて、その建物に居られなくなり、強制的に引越しをさせられたその先で、薬物を強制されて身体を不具にさせられる、という「事件」が起ったのは、2010年であり、その元日は一点の雲も無い青空だったのを、なぜか妙な気持で覚えているが、ほんとうにただならぬ「死」の緊迫感覚を覚えさせられたのは、ふと見た家のデジタル時計が、4だけを揃えてぎらりとぼくにくいいって感じられたときだった。あれは形容できないものすごい感覚だった。いまにいたるまで、デジタルをふと見ると、44分であることが多く、もちろんそういう数字だけ見ているわけではないが、気になりつつ、もう慣れてしまっている。




〔思いついて、6666と444を検索してみた。その結果よりも、まあ世の中のひとびとは幸福なりたがりの塊(かたまり)そのもので、なりふりかまわず幸福教信者なのだなという、その熱のほうを感じた。その宗教をスピリチュアリズムと言う。とにかく何でも天使からの積極的なメッセージとしてしまう溢れんばかりの貪欲さ。その原理は単純で、ここで言葉にする要もない。いまでは、6の連続も、悪魔の象徴ではなく、物質に捕われないようにという天界からの忠告ということになっている。4の連続に至っては、天使達が最高に支えてくれているという至福の伝言なのだそうだ。けっきょく、「思考の力よりも強いものはこの世になにもない」というデカルトの思想を泥縄式に実践しているという、頼もしさを大衆はもっている。皮肉でなく、結構なことだと思う。でもやはり悪魔はいるということを心得て、それとの対決においてこの「思考:意志」の力を揮うべきだとぼくは思いますよ(その理由は既に言ったように)。〕

〔霊界がスピリチュアル(精神的・魂的)なものだけというのは大間違いで、物質主義の権化のような霊集団がおり、精神性と魂を滅ぼそうとしている(悪魔)。それをぼくは集合容喙現象として経験していると解している。これを現実として知らなければならない。〕