Réflexions et Maximes

127 《Les grandes pensées viennent du cœur.》
    〔「偉大な思想は心情より生まれる。」〕


286 私は少しも、偉人たちの栄光と叡智を罵っている一ソフィストに感心しない。彼は最も立派な天才たちの弱点に向って私の眼を開けてくれながら、却って彼自身がおよそどれほどの価値の人であるかを評価させてくれる。彼こそは私が有名な人物の中から削除する最初の人である。

287 どのような欠点も一切の徳を抹殺するものだと考えたり、善と悪との結合を怪物か謎のように見なしたりするのは、甚だ我々がよろしくない。我々がこのように物事を調整出来ないのは、洞察力がないせいである。

290 自己を愛することは果して理性乃至正義に反しているだろうか。また我々は何故自愛は常に不徳なりと言いたがるのであろうか。

297 肉体にはその優美があり精神にはその才能がある。心情にはただ不徳だけしかないのか。〔…〕

300 大多数の道徳書があんなに無味乾燥なのは、著者が正直でないからである。彼等が互に他人の口真似ばかりしていて、思いきって自分自身の格言、自分自身の秘めたる思いを吐露しないからである。このように、単に道徳上のことに限らず、どんな主題に関してでも、殆ど凡ての人間は、心にもないことを言ったり書いたりして一生をすごす。だからなお幾分なりとも真実の愛を心の底にのこしている人々は、却って世間の憤激と偏見とをかきたてるのである。



〔ヴォ―ヴナルグ「反省と格言」より。関根秀雄訳、岩波文庫「不遇なる一天才の手記」所収。傍線引用者。引用したことの意味は読者自ら悟られるべきである。いまもまったく変わらない。「殆ど凡ての人間」になるのか。加えてわたしは、「心にもない決意と志」と言っておく。自己想起と一つであるような感動と愛の経験から生じないような〈決意〉や〈志〉はすべてそうである。こういう意味での「自愛」の「心情」から生じないものは、根源を欠いたものとして、けっして真に実をむすぶことはない。
 同時代のルソーが、amour de soi の善性を肯定したように、ヴォ―ヴナルグは amour-propre 「自尊心、自惚れ」から、積極的自愛「自己愛」を区別している。メーヌ・ド・ビランは、このような積極的自己愛の観念を、他者にまで拡大する「膨張的感情」(sentiment expansif)として受け継ぎ、彼の道徳論を展開している。〕



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関連はないが、格言にしようとしたら長くなった、「信仰と人格」についてのぼくの経験および断定:

信仰は人格を変えるのではない。
宗教信仰は、人間を品格あるものにするのではない。信仰の有無は品格と関係ない。信仰によって本来の品格が顕前することはあるが、その品格を信仰がもたらすのではない。品格なき者は信仰を得ても、品格を得るどころか高慢偽善が加わり、もともとの人間性に見合った意識展開しかしない。信仰は人格を変えるものではない。信仰以前の人間素質はそのまま存続している。新しい酒を入れたからといって古い革袋が新しくなるのでないことと同じである。信仰は人格に「統合」(八木誠一)をもたらしても、人格質を変えるのではない。信仰によって高慢になるのは、その個のもともとの性格素質による。信仰は人格を変えるのではなく、もとの人格の半裏面が信仰で触発され表に出るのである。卑しい人間が信仰により高貴になることはぜったいにないから、事物への根本姿勢は以前同様であり、その根本姿勢の「なかで」信仰も〈実感〉されており、本人が精神が百八十度変わったと言っても、本人のもとの人間水準においてのことであり、この水準そのものは信仰では変わらない。その人間なりの信仰があるだけである。水準の低い者ほど信仰で夜郎自大になるのは、戦国の成り上がり武士と違わない。そういう類をぼくは見すぎた。


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翌日(同日)

ヴォ―ヴナルグの云う「心情」と、ぼくのいう「品格」は、おおいに重なる、とぼくは思う。「心情」(cœur)は「心」すなわち「魂」であり、歴史的な「愛」の実体、「根源のなかの根源」である。「信仰」は本来、これへの意志的忠実である。真の意味での「人格」は、よって、むしろ信仰の根源であり、「品格」は「偉大な心情」である。



他:


  • « Ceux qui méprisent l'homme ne sont pas de grands hommes. »
    「人間を軽蔑する者達は偉大な人物ではない。」

  • « Pour exécuter de grandes choses, il faut vivre comme si on ne devait jamais mourir. »

    「偉大な事を実行するためには、けっして死ぬことはないにちがいないかのように生きねばならない。」