ヤスパース自身言うように、哲学が要らないならそれに越したことはないが、世相を見ると、哲学を学べと言わざるをえない。これぐらい人間が暗愚ではしかたがない。却って迷妄にみちびく哲学もあるので(学ぶ側のせいで)、やはりヤスパースがいちばん、広い範囲の人々を正しく「人間」に覚醒するのに適していると思う。そういう性格の哲学であることをぼくは知っている。ただ、概説ではだめなのである。ぼくがしているように、核心の箇所を、問題意識をもって、実地に原典に当たり、思惟を経験することが大事なのである。そういうことに関して、ぼくよりも理想的な導き手を他のどこにもみなさんは見出さないだろう。どんな学者先生も、ぼくより納得できるように、みなさんを、万人に必要な思惟と「人間」とへ手ほどきすることは、けっしてできません。これはぼくのいままでの経験から、百二十%の格率で、断言します。そういう仕事でぼく自身が満足するかは別ですが。
 いまの日本人は、現存在からのみの発想で、「まず食わねばならない」式の発想で思惟しますが、かならず、人間関係そのものが崩壊します。人間は、身体だけの存在ではありえないのですから。過去に日本が崩壊したのは、外の武力に負けたのではない。人間の本質をわきまえた国づくりをしなかったからです。そういう意味では、日本の歴史はすべて失敗しているとわたしは思います。儒教仏教などの余計なものが多すぎた。日本古来の宗教も、人間覚醒には真に至らない。キリスト教もあの形態ではだめです。明治が理想だなども、かんがえればおかしい事です。日本を失敗させる基があるのですから。日本はいまだ「人間」に目覚めたことがありません。そういう「伝統」にめぐまれなかったというべきでしょう。そういう伝統をこれからつくっていかなければなりません。ヤスパースの哲学は、そのための指針的基本教科書になるのに格好です。ぼくが言うのだからまちがいありません。日本人でそういう方向で自然体で生き得たひとは、高田博厚が最初ですよね。並の日本人からずっと先を歩んでいます。まだそういう境位へ至らない向きは、夏目漱石や小林秀雄で足踏みしているのでしょうが。しかしそういうところでとどまっていてはならないことは明白です。このことははっきり言っておきますよ。ぼくも随分、失礼な経験を重ね受けてきましたからね。しかしどんな多数の愛好があっても、ぼくの判断にはおよばないのです。
 日本人はやはり、しっかりした哲学を学ばなければならない、大事なのはこの一事です。その手ほどきを理想的にできるのは ぼくしかいないのですが、ぼくはこういう状態で、もう世間よりも自分に純粋に籠もって自分をまっとうしたいのです。いまの禽獣以下の日本人の多くなど、ほんとうは相手にしたくないのです。殺してもすこしも惜しくないどころか、殺したほうがよい人間がいっぱいいます。魂をけがす者はかたっぱしから具体的に殺したいとおもっています。そうしないでよい人間に覚醒させるために、宗教やスピリチュアリズムではなく、哲学が必要なのです。いまのぼくがそれにどのくらい貢献できるでしょうかね。貢献する気になるでしょうかね。