先節:
生者と同様に死者を愛し、死者と同様に生者を愛するとは、どういうことなのか。これは自分についても言えることなのである。ぼくは生と死とであるのだから。
なぜぼくのような人間がほとんどいないのか。それがぼくにはふしぎなのだ。なぜ他者にたいし現実に加害行為をくわえるのか。どうして自分の意識で自立していないのか。
ぼくの殺意など現実には殺意でも何でもない
「霊界人」の誰も、ぼくより程度が高いのではないことをぼくは知っている。正義面した、心の鈍い、俗界の延長だ
〔悪魔は存在することを、異変のずっと以前の、人生の出発期にすでにぼくは感知していた。敢えて断定しなかっただけだ。〕
死者(霊界人ではない)から、ぼくはどう思われているのか (「霊界」は第三人称、「死者」は汝である。)
死者でも生者でも、魂になっていなければはじまらない
魂はどうやって繫がるのか
なんか分かる。ほとんどの者たちは、魂で繫がってはいない。霊でつながっている。おぞましい。霊媒などいちばんおぞましい。 自分の意識で自立していなければ魂などありえない。
意識で自立していることが感じられる者がこんなにすくない。 ほとんどの者は、夢遊病者と同じだ。目覚めているのに操縦されている。 ぼくの意識からすれば。
魂は、その自立した意識が信じられるところに在る。
殆どすべての者は、誤った信念によって自己操縦されている
そんなものでも〈生きる道具〉になるからいけないのだ。これを意識停止という
ぼくはすべてのプラグマティズムをはじめから排している、というより意識がついてゆけない
これに乗れる者が多分 覚醒夢遊者だ
読者はどうか
覚醒夢遊者を使って悪魔が神様面をしている
ほんとうにそうだよ