〔自節紹介〕続 III にきょう(1.3)記した覚書:

203 マルセルとイデアリスム(自分自身への手紙百十一)
ぼくが付け加えたいことは、彼が可能的・現実的な心霊的世界に「形而上的希望」を託したことに、まさにかの世界が応えることを、ぼくはかなりな不安を抱きつつ期待せざるをえない、ということである。かの世界は、ほんとうに「人間の理念からの信仰」(イデアリスムの信仰)に応えるようなものなのか、希望の空間は不安の空間と実はないまぜなのではないか。彼の霊媒体験の報告記そのものからも、このことが垣間見られると思うのである(死んで人格が変わった死者の報告等)。彼は「存在論的なもの」と「形而上的なもの」とをきわめてナイーヴに重ね合わせて思惟している印象を受けるが、いまのぼくにはそれは単純なことではないように思える。「真の愛は愛する者が永遠に存在することを欲しかつ断定する」という彼の思想はまぎれもなくイデアリストのものであり、ぼくはこれに全的に共鳴する。先生の師ロランの精神の恩人マルヴィーダの魂的信仰と同一であろう。マルセルの希望の思想は、謂わば実在的な次元からその可能性の空間を受けとりながら、根本においてはその空間に己れの「理念」と「意志」を果敢に投げ入れるものであり、そのようなものとして、まさしく不安の只中における希望の信仰である。全的に肯定的な意味での「人間主義」である。「存在の神秘」の中核にこれがある(だから神道に共感しても自然崇拝とはならないだろう)。
 
〔2016.1.3 : 「死んで人格が変わった死者の報告」は興味深いものである(「道程」の中に記録されている)。わたしとしてはそこでの死者と生者とのやりとりにたいするマルセル自身の反応の叙述こそ今興味深い。マルセルは、死者の言い分(創造主による措置にたいする弁護)にたいして居合わせた生者である女性が「そんなこと許せないわ!」と強く抗議したことに深い感銘をうけたことを記しているのである。他所でマルセルは繰り返し、当時のナチズムに少しでも加担した者達にたいしては「わたしはいささかの寛容も示さない」と確言していることと合わせると、マルセルはあきらかに、わたしの言葉で言う 「創造主に反抗しても愛の神の側に立つ」思想家、すなわち生粋のイデアリストであることを、わたしは微塵も疑わない。〕