これもぼくの、自分で書いた文のなかで、好きな箇所である。憧れはそれじたい愛であるが、これに応えない学問研究は ほんとうに本気でやれるものではなかった、ぼくにとって。 ほんとうの憧れ、夢、とはなにか ここに書いた。

「主体の自己疑問性」は、主体の自己閉塞的完結性の挫折と突破の意識であり、これを介して形而上的愛がわれわれを駆り動かすようになる。自己愛としてであれ、他者愛としてであれ。

ぼくは哲学において最初から、「知」が優先的にもとめられることに違和感を覚えていたようだ。知をもとめる根本に「愛」がなければならない。それは当然であるが、「知への愛」ではないのではないか、「愛するがゆえに知る」のではないか、ということなのだ、ぼくが言いたいのは。ところが教師学者までこの自覚がなく、やはり意識の上では「知優先」なのだ。だから「比較意識」から脱せられず、思想家に「優劣」をつけてはばからない。しかしおよそ「愛」は、「いかなる秤にも掛けることをやめる」(高田先生)ことなのである。ぼくははじめから、いま「形而上的アンティミスム」とぼくが自覚的に呼ぶにいたった態度で価値判定していたらしい。この態度で、ぼくは当時ヤスパースを最も偉大な本来の哲学者と見做してゆずらなかった。「哲学」の求めかたが大方の他と本性的に違ったのである。「哲学は自己への郷愁である」という言葉に、知識認識趣味からではなくほんとうに自分自身への郷愁と真摯な夢からしたがったのである。そういう者はぼくしかおらず、哲学者を学問知の視点から位階づけする(それじたい間違っているのだが)知の僭越者しかいなかった。しばしば「ハイデガーかヤスパースか」という問題が言われるのも、両者にそれほど「哲学」にたいする意識態度の違いが、いまぼくがここで触れた意味での問題として象徴的にあらわれているからなのである。ヤスパースは、「哲学においては客観的科学知があらたなかたちで求められるのではけっしてなく、この知を媒介とはするが知以上の存在意識の変革と充実が達せられるのでなくてはならない」、という明確な自覚に一貫して立脚していた。彼は「愛そのもの」の哲学的肯定者だった。ぼくの論述構成においても、ヤスパースの実存意識のおかげをそうとうこうむっている。ヤスパースの名をもはや出さないのは、これは高田博厚とマルセルに面してのぼく自身のオリジナルな思索に鋳直されきっているからである。ぼくはヤスパース思想の換骨奪胎いじょうのことをやっているのである。

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「哲学は自己への郷愁である」という言葉は誰に言われるでもなきぼく自身の言葉らしい(ぼくはオリジナルに自分でずっとそうかんがえてきた。「古川の哲学の定義がいちばん納得できた」と学部生時代に言ったやつもいる-こいつは或る意味で例外的である-)。ノヴァーリスだと思っていたが彼は「真理への郷愁」と言ったらしい。本物であればぼくの言葉に同意するだろう。今道友信は「音楽とは 郷愁である」と言ったようだ。










2015-12-23 00:12:33