ところで限界状況の本来的機能は、実存の歴史的具体性を通しての超在の感得にあるとされたが、限界状況論第一節においてはヤスパースは超在(Transzendenz)の語を伏せ、現存在から実存への飛躍において規定的状況が限界状況、即ち「存在(Sein)の全き現前」(II.211)となると言う。そして限界状況となった状況は「実存の現象の身体」(II.206)・「私がそれであり得るところのものの、現象する身体」(II.217)であると表現される。即ち限界状況(歴史的規定性としての)において、限界状況として現前する――状況として現象する――「存在」とは実存であり、その限りで限界状況論は、現存在との関係における実存論である。しかし実存は己れの自由の被贈性を通して、それ自身超在の現象と見做されるのであり、実存の側から見れば状況は、現存在から己れ自身への飛躍において、限界状況として、超在感得の場となる。この、超在への関係の諸様態に関して、限界状況論は補完されるべきである(*)。ここでは、超在への実存の関係について最も基本的な形で触れている自由論からの補完だけを試みる。




(*) 『形而上学』(Metaphysik)第三章「超在への実存的諸関連」〔超越者への実存的諸連繫〕の論による補完を限界状況論は必要とするであろう。これを今後の私の課題とする。




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疲れたし、当時の不愉快なことを思い出すので、しばらくこの論考紹介は休む。だいぶ佳境に迫ってきたが、いまの状態で無理をしたくない。不愉快というのは、当時わたしはきわめて慎重で謙遜にあまんじていたので、周囲のつまらぬ者たちの不遜な言を、自己主張せずうけながしていた。これはよくなかった。憤懣がいまでも増幅的に持続している。魂という字は云と鬼とから成る。魂が魂であるためには、「云う」ことをせねばならぬ。それをせぬと、「云」を奪われて「鬼」となってしまう。