比較的考量なしで、高田博厚の最高傑作と思える充実を感じ その感銘はわすれ難い。彼のルオーへの思い入れから そうでなくてはならないだろう。もとより わたしの撮った上の三つの角度からの写真は、直の精神的感銘を到底伝えるものではない。 だがそれでも、これまで他の方々によっても撮られたこの作品の写真のなかでは群を抜いてわたしの写真は実作の「真」に迫る貴重なものであると言ってわたしは憚らない。わたしに写真技術と機材があったならそれを実証できるだろう。写真も自分の受けた感動を再現しようとして「自分の感動」に迫るものでなくてはならない。その点において過去の他の方々による高田作品の撮り方は気分的な甘さが多くあるか 何を撮りたいのかが判らず 「真」に迫っているものはすくないとわたしはいつも不満に思っている。
 高田が日本に帰ってからの晩年の作品である。複数ある高田の七十歳代に制作したルオー像の一つのはずである(いま資料をみたが清春白樺美術館にも二点はあるようだ:1973作と1974作)。七十歳以前の高田のルオー像は作品写真集にも見当らない。七十を越して漸く作れる心境になったのではないか。かぎりなく重厚で精緻かつ親密な作品である。直にこれ一つを熟感すれば高田博厚の何たるかが直接感覚的に得心されるだろうとわたしはおもう。







 












自分の為の覚書

「自分」への忠実によって その他のいっさいを超えなければならない

「信仰」とはこれでしかない