このように、高田が「イデー・タンジーブル〔idée(s) tangible(s)〕」と言う時、一方で自ら湯浴みしたフランス精神の質への視線があることは確かであるが、このような思想理解に達したということはむしろ高田自身の当時至った《精神状態や思想の容相》を何よりもまず示すものである。それを凝縮したかたちで最もよく示していると思われるものが、同時期に書かれた、同様に片山宛書簡の形で『地中海にて』と題されて発表された随想文である〔注二〕。
 そこで高田は、戦後の日本に向けて《親密な気持ちで一人を相手にして話せるようなもの》を書きたいという気持を述べ、『薔薇窓(ロザース)』と題される執筆中のその書について次の様に言う。

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〔注二〕『フランスから』所収。