何も神秘めかす意図はないが、ぼくは映像で実物を見る前に、この寺院とおどろくほどそっくりのものを夢で見ている。ひじょうに鮮明で、忘れていない。寺院(教会堂)の周りで市場が開かれていたのを覚えている。夢にしては個性的で印象深いその形を、「どこの教会だろう? ほんとうにあるんだろうか?」とそれ以来おもっていた。これは、高田先生の精神上の師ロマン・ロランが晩年移り住んだフランス・ヴェズレーの、聖マドレーヌ寺院なのである。十字軍や巡礼の出発の地として著名である。フランス・ロマネスク様式の代表的な建築物でもあるようだ。勉強すべきことはありすぎる。状態のおかげでまともな継続は全部だめになった。どんなことでも書き留め得ることを書き留めておきたい。



他者の世界を尊重しないのではまったくないが、過去から現在までの自分の継続とつながりのあるもの以外には極度に無関心になっている。あるいみ正常なことだ。そう了承しておいてほしい。



たぶん、ぼくには、本質的なこといがいは、縁がないのだ。さびしくもあり、充実しているようでもある。なぜなら・・・


自分をこの世の原理と鋭く対峙させて動じない勇気がほしい。これはけっきょく創造主との対峙にほかならず、あたらしい神をまち望む勇気にほかならないのだから。




関連はないが、たとえば〈器が大きくなろう〉などと意識したらその時点で偽物である。どうしたらよいかは自分に聴くしかない。ぼくのために言ったのではない。



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今日は日曜日で、午後六時から七時半迄の報道番組を一括して時間設定録画にしておいたつもりだったが、選局に注意せず、他の局の番組が録画されていた。従って、今日どういう報道があったかは知らない。